石段を馬で行き来し、立身出世!
東京都港区にある愛宕神社で、有名な「出世の石段」を登ってきました。
愛宕山
都内で一番高い自然の山
標高26メートルの山頂にある神社は、険しい階段を上って境内に入ります。その階段は「出世の石段」と呼ばれ、昇ると出世するという逸話があります。
江戸を見下ろす愛宕山で
幕末、幕府は政を天皇に返上(大政奉還)。それまで政権を持っていた旧幕府軍と新政府軍の内戦が始まりました。戦いの場は関西から関東へ移り、新政府軍は江戸城総攻撃の準備を開始しました。旧幕府軍の勝海舟と新政府軍の西郷隆盛は、愛宕山で話し合いました。結果、戦うことなく、旧幕府軍は城を明け渡しました。(江戸無血開城)。江戸の街や海が一望できる愛宕山から江戸の街を見渡し、お互い色々なことを考えたのでしょうね。今ではビルばかり目立つのですが。
見取り図
神社HPから拝借した見取り図には、NHK放送博物館も境内にあります。不思議ですが、きっと愛宕山全体を境内としているためでしょう。この山頂で、日本初のラジオ放送が始まりました。(東京放送局)
大鳥居
神社の入り口は、鳥居の先にある出世の石段が目印です。
愛宕神社の大鳥居は、「防火水槽」の標識が目立ちます。ここは防火の神様です。
男坂(出世の階段)
大鳥居をくぐると直ぐ、八十六段から成る「出世の石段(男坂)」があります。
急勾配で高い石段です。登り切って振り返ると、クラクラしました。傾斜は40度、直角90度の半分が45度ですから、急斜面であることが分かります。
出世の石段の謎
曲垣平九郎という生駒雅楽頭(四国丸亀城主)の家臣が、この石段を馬で駆け、境内の梅を徳川三代将軍家光公に献じました。そのことから彼は日本一の馬術名人として名をとどろかせました。(講談「寛永三馬術」より) 出世の足掛かりとなったほど険しい石段ですが、むしろ私は、石段を誰が建立したかの方が気になります。
一の鳥居と社殿
神社へ行くと、社殿(拝殿)は撮影禁止と言われることがあります。神様のおわす所ですから、配慮が必要です。
また、神社は端を歩くのが礼儀です。中央は神様の通り道なので、参拝者は邪魔にならぬよう端を歩くのです。
社殿では、静かにお賽銭を入れ、鈴を鳴らし、二礼 (2回お辞儀)、二拍手 (2回手を叩く)、一礼 (1回お辞儀)します。 私は二拍手の後に手を合わせ、感謝を伝えています。
手水社
コロナの影響で、手水社は使用不可となっている神社が多いのですが、ここは今までと変わりありません。水場で手を洗う人も変わった様子はなく。お作法通りでした。
御手水の作法
⑴右手で柄杓を持ち、水を汲む
⑵汲んだ水で左手を洗う(清める)
⑶手を持ち替え、左手で水を汲む
⑷汲んだ水で右手を洗う(清める)
⑸手を持ち替え、右手で柄杓を持ち水を汲み、左手で水を受け、口をすすぐ
⑹もう一度水を汲み、左手を洗う(清める)
丹塗りの門
丹塗りは、金属等を原料とした顔料で丹・朱に塗ること。魔除けや虫害・腐食から守る役割もあります。
将軍の梅
1634年2月25日(寛永十一年正月廿八日)、曲垣は石段を登った証として、時の将軍・家光にこの梅の枝を献上しました。初冬に花は見られませんでしたが、春には見事に咲くことでしょう。
招き石
なでると福が身に付くと言われています。たくさん撫でられ、頭はツルツルピカピカです。しかし私は招き石を奉納した「大矢根由雄・てる」両名が気になります。
太郎坊社
祀られているのは、道と旅の神様の猿田彦神です。導き、道拓きの御利益があります。
福寿稲荷社
七福神の1人、福禄寿とお稲荷様の掛け合わせでしょうか。稲りを願う神様ですので、豊作から商売繁盛。福禄寿の御利益は、立身出世と長寿延命です。
稲荷神社というと、神様が狐と思われがちですが、狐は神の使いです。
大黒天社
七福神の1人、大黒天は財宝と開運の御利益があります。
立派な鳥居の先に社があるのではなく、この通路の先に社があります。
弁財天社
七福神の1人、弁財天は音楽と芸能の御利益があります。
出世の石段を下る方向に、社があります。
社務所
賑わう社務所では、お守りやみくじがあります。御朱印は書付(紙)のものが無く、御朱印帳のみの取り扱いです。
社務所には、ペット守もあります。
愛宕神社には「愛宕オールスターズ」白犬「ティナ」「コミ」、白猫「しずく」「つゆ」が暮らしています。今年10月4日の朝、人気の三毛猫「ちゃー」は、天に召されていきました。私の訪れた11月23日は「ちゃー」を偲ぶ写真展の最終日、訪問者をチラホラ見かけました。とても愛されていたのですね。
池
池の中にも鳥居があります。日本三大弁財天、滋賀県の竹生島神社、神奈川県の江島神社、広島県の厳島神社は、どこも水に囲まれていますが、ここも同様に、弁財天の社そばに鳥居があります。
子連れに人気の鯉。社務所に、お池の鯉にあげる専用の餌が売ってます。
のどかな景色が広がる境内。子連れやカップル、外国人観光客も参拝していました。
三角点
一番高い山であることを示す、角点です。
三角測量を行う際の基準を三角点といいます。経度と緯度の基準になるのが「三角点標石」、高さの基準になるのが「水準点標石」。三角関数の測量法ですね。
茶店
神様のお下がりものをお召し上がり頂けます。(立札 参照)
お食事
あたご御膳 千円
撤饌うどん 八百円
本日のカレー 七百円
助六 八百円
直会セット 八百円 (おつまみ&日本酒)
江戸好み志ら玉 三百円 (とうふのしらたま)
あんみつ 六百円
小江戸ぜんざい 五百円
抹茶 五百円
アイスクリーム 四百円
飲み物
ビール・ハイボール 五百円
レモン酎(氷結)・甘酒 三百円
りんごジュース・コーヒー 三百円
ラムネ 二百円
石碑
ここには櫻田烈士の碑があります。
万延元年三月三日 桜田事変之碑
1860年3月24日(安政7年3月3日)の早朝、桜田門外の変を成し遂げようと、薩摩藩士の有村治左衛門と水戸浪士の十八烈士が集い、大義を唱えました。江戸城に登城する予定の大老・井伊直弼を暗殺し、世を変えようと奮い立ったのですね。私はこの神社で一番、ここが好きです。この日は春にも関わらず雪が降り、彼らは大老の首を取ることが出来たのです。その後が大きく変わったのは、まさに天命と思うのです。時代を超えて感極まり、私もちょっと幕末の志士に似せてみました。
他、蜀山人・智恵内子・朱良管江等の狂歌合長者園撰之碑・起倒流拳法之碑・十二烈士女の碑 (参拝のしおり 参照)
女坂
出世の石段は男坂、こちらは緩やかな女坂です。
下りも歩きやすい石段です。
縁結びの御利益がある愛宕神社ですが、階段手摺の石に刻まれた法律事務所や弁護士の名前が目立ちます。 弁護士との出会いも縁と言いますからね。
まとめ
高級住宅地にあるパワースポット
神社周辺は大都心なのに、森林に囲まれていて和みます。 港区と言えば セレブの住まう高級住宅地ですが、江戸時代から武家屋敷が密集していました。皇居もそう遠くない場所にあります。
月毎 と 名月をかけた歌
♪ 伊勢へ七度、熊野へ三度、芝の愛宕へ月まいり ♬
俗謡には、三重県の伊勢神宮へ7度、和歌山県の熊野大社へ3度、そして東京都港区の愛宕神社へは 毎月行くことが謡われています。面白いのは枕詞となる ”月”。
♪ 汽笛一声新橋を はや我汽車は離れたり
愛宕の山に入りのこる 月の旅路を友として ♬
鉄道唱歌には、愛宕山の残月を眺めながら夜行列車に乗る様子が唄われています。
防火の神様、全焼
愛宕神社は、江戸幕府が開かれた1603年に建立されました。火事が起こると大惨事となる江戸時代のこと、幕府から下附金を賜るなど尊崇は篤いものでした。
その後、江戸大火災で全焼したものの、1877年に再建されました。関東大震災や東京大空襲によって、また焼失の憂き目に遭いますが、氏子中の寄付によって再建され、現在に至ります。つまり、防火の神様は火事で度々無くなっていますが、皆の思いが形になり、復活したのです。(江戸大火災とは、おそらく明暦の大火または丙寅の大火)
感想
開運と芸能の神様だから
愛宕神社の末社(本社に該当しない社)には、大黒天や弁財天の拝殿などもあります。大黒天は財宝と開運、弁財天は音楽と芸能、2人ともインドから来た神様です。
芸能と言えば、2015年に杏さんと東出昌大さんがここで挙式を行いましたが、残念ながら二人は別れて生きる道を選びました。しかし、ご縁は切れても芸は切れない役者であることは、大変素晴らしいことです。
辰と蛇の神様、普賢菩薩
普賢とは、遍く(全て、一切)賢い者。南東を守ることから、辰年と巳年の神様と言われています。神社に仏とは、不思議ですよね。
体験した不思議な話
初めて私が神社を訪れた時は、愛宕神社の参道から神社境内へと登っていきました。参拝を済ませた後「出世の石段」を知り、下ったら零落するかしら?などと考えながら石段を渡りました。その途中で、私の足先から蛇が通り過ぎていったのです。段の傾斜も怖いので、少し立ち止まって心を落ち着かせ、階段を降りていきました。
その後、私は何度もまとまったお金が入るようになりました。後に知ったことですが、蛇を見ると金運が上がるそうです。近くの芝公園内には蛇塚もあります。
今まで蛇を見たことを人に話さなかったのですが、私にはもう金欲もないので、読者さんにお伝えいたします。ご興味ある方は、石段の端をゆっくりと歩いてみてください。あれほどの都会で蛇に遭遇するなんて驚きましたが、出会えればきっと御利益があると思います。
神社情報
住所:東京都港区愛宕1-5-3
電話:03‐3431-0327 (ご祈祷予約など)
社務所の受付時間:9:00~17:00
御祈祷の受付時間:10:00~15:00
高さ:海抜26m
広さ:1750坪 (境内)、6,000坪 (愛宕山)
鎮座:1603年 (関ヶ原合戦の後まもなく) ※鎮座=神霊がしずまったこと
交通アクセス
JR「新橋駅」徒歩20分
東京慈恵会医科大学のすぐそば、徳川将軍家の増上寺のすぐ北です。
ご拝読ありがとうございました。