不忍池にまつわる怪談話と事件、そして歴史を書いてみます。
上野恩賜公園の記事 まとめ
不忍池にまつわる怖い話
⑴感応丸と柳の前(室町時代)
⑵お蝶伝説(江戸時代)
⑶彰義隊の怨霊(明治時代)
⑷炎が見える池(大正時代)
⑸さまよう亡霊(昭和時代)
⑹未解決の殺人事件(平成時代)
⑺私の心霊体験(令和時代)
3つの不忍池
東京都東部の高低差
上野恩賜公園の中でも不忍池は低地にあります。(国土地理院 地図)
上野とは、上野から谷中・日暮里に至る一帯の丘陵ある ”上野台” を指します。そして上野恩賜公園は、北東が高台、西の裾は低湿地です。高台を ”上野台”、低湿地を "下谷"と言います。(黄色:高地、緑色:低地、水色:湿地、青色:水場)
不忍池は、池は3つに分かれていて、⑴南に広く ”蓮池”、⑵西に”ボート池”、⑶北に ”鵜の池”です。天然の湖とは違い、人工の池は この湿地の水を集めて作られました。
蓮池
不忍池で一番広いのが "蓮池” です。面積55,000㎡、平均水深84㎝
水深は最も浅いのですが胸の高さ位まであり、水面が見えないほど草葉で埋め尽くされています。6月頃から蓮の花が咲き、上野の夏の風物詩。蓮は、極楽浄土の華「一蓮托生(皆が運命を共にする)」の語源、仏教「蓮の花になって生まれ変わりましょう」の思想です。
ボート池
その名の通り ”ボート池”には貸しボートがあります。面積30,000㎡、平均水深86㎝
不忍池でボートに乗ると、悲恋になぞらえてカップルは破局する逸話があります。近くには弁財天があり、弁天様は女性なので嫉妬して別れさせてしまうとも。
鵜の池
弁天橋のかかる ”鵜の池”は、一番深い池です。面積25,000㎡、平均水深92㎝
動物園の敷地内にあるため、拝観には入園料が必要です(一般 ¥600-)。カワウ(鵜)が生息しています。元々は動物園で飼育されていましたが、今では野生のカワウが繁殖し、日本でも数ヶ所しか見られません。
不忍池の歴史
江戸時代初期の地形
はじめて家康が江戸城へ入った時、不忍池は今よりも大きく、湯島台の際まで拡がり、東側は姫ヶ池と千束池、南側に忍川が流れていました。
https://www.ne.jp/asahi/woodsorrel/kodai/zue/torigoe/index.html より
鬼の入り口を塞ぐ
鬼門とは、北東の方角を指します。
平安京(京都)に遷都する際、鬼門に比叡山延暦寺を置いて鬼除けとしました。江戸に幕府がひらかれた際、偉いお坊さん(大僧正・南光坊天海)は江戸城にも鬼封じを置くよう願いを出し、鎮護寺の条件を満たす上野に寛永寺と、琵琶湖に見立てた不忍池が築造されました。ちなみに、栃木県日光にある東照宮は真北に位置します。
風水(陰陽道)では、北に高山、南に湖、西に大道、東に流川があれば、その場所は四神(青龍・白虎・朱雀・玄武)が参る ”四神相応の地”となり、末永く繁栄すると考えられています。寂れた土地を整えたら、あれよあれよと聖地となってしまいました。
遺骸が放置された場所
1868年、幕末に上野は激戦地となりました。旧幕府軍 VS 新政府軍の戦いです。戦争勃発は、旧幕府軍の放った砲弾が不忍池に落ちて水しぶきをあげたことが発端でした。
上野公園をなぜ ”恩賜” と言うのか、それは1923年に起こった関東大震災の被災者を保護し、翌年に宮内庁によって下賜(天皇からいただく)されたことがキッカケでした。私達の時代には東日本大震災があり、地震の恐ろしさを知っています。公園は安全で多くの被災者の命を救いました。ここで生まれた赤ん坊は、一夜で70名!無事生まれてこられた人々は、誰かの先祖なのでしょうね。公園の嬉しいエピソードでした。
犠牲者の火葬場
東京大空襲は、とんでもない数の被害者を出しました。当時の写真を見たことがありますが、目を背けたくなる有様です。戦争末期にまた更に多くの命が失われました。そんな遺体の火葬場となったのも、ここ 上野恩賜公園でした。太平洋戦争の時には、上野恩賜公園は 水田 (田んぼ) に変えられていました。
ホームレスの吹き溜まり
昭和時代から平成時代の中頃まで、上野恩賜公園では外国人が ”偽造テレカ” と ”覚せい剤” が売っていました。戦後の闇市の風潮が残り、あまり治安の良い街ではありませんでした。上野恩賜公園では、ホームレスも大勢、寝泊まりしていました。
不忍池の蓮(ハス)
蓮を知ろう
ハスは、ハス科ハス属に属する大型の抽水植物であり、熱帯~温帯アジア、オーストラリア北部及び南北アメリカなどに分布しています。
ハスには、熱帯及び温帯東アジアを中心に、東は日本、西はカスピ海近く、南はオーストラリア北部に分布する東洋産種のハスと、北米東部及び南米北部に分布するキバナバスと2種に分類されます。
東洋産種のハスの花色は、紅色、白色なのに対し、キバナバスの花色は黄色です。
不忍池には左の浮世絵にもあるように、古くからハスが植えられていました。(三十六花撰 東京不忍池蓮花 廿五 / 公園内立札より)
不忍池とハス
不忍池にいつ誰がハスを植えたのかは分かっていません。不忍池のハスを調査した大賀一郎博士は「不忍の蓮」という文章の中で、「不忍池にハスを植えたのは、上野桜ケ丘に別邸があった林道春(林羅山)かと考えたのが、彼の著作にハスに関する記述がないことから、寛永寺を造営した天海和尚か、不忍池の弁天島を作った水谷伊勢守ではないかと考えるようになった」という趣旨のことを書いています。
植えられた蓮の品種も不明ですが、江戸時代の書物には紅色と白色のハスがあったことが記述されています。昭和10年の大賀博士の調査では、不忍池には10品種のハスが生育していたことが確認されています。
そのような不忍池ですが、第二次世界大戦は水田として利用されていました。終戦後、蓮池を復元するために水を戻し、ハス苗の収集と植付が行われました。現在、不忍池にあるハスは、これらのハスが交雑したものと考えられます。(公園内 立札より)
ボート乗り場の案内
種類と料金
①ローボート(大人3人乗り・手漕ぎ) 1時間 ¥700-
②サイクルボート(大人2人乗り・足漕ぎ) 30分 ¥600-
③スワンボート(大人3人乗り・足漕ぎ) 30分 ¥700-
休業日:水曜日(12月~2月) 営業時間:
問合せ:公益財団法人 東京都公園協会 上野恩賜公園ボート場
電話:03‐3828-9502
上野恩賜公園 概要
住所:東京都台東区上野公園5-20
電話:03-3828-5644
開園時間:5:00〜23:00時間外は立入禁止)
休園日:12月29日〜1月3日(事務所業務休止)
開園年月日:明治6年10月19日
開園面積:538,506.96 ㎡
交通機関
電車を利用
・JRまたは東京メトロ銀座線・日比谷線「上野」駅下車 徒歩2分
・都営地下鉄 大江戸線「上野御徒町」駅下車 徒歩5分
・京成線「京成上野」駅下車 徒歩1分
車を利用
・上野恩賜公園第一駐車場(普通車)
営業時間: 9:00〜21:30(入庫は 19:30まで)
利用料金:1時間まで400円、以後30分毎に200円
台数:100台
・上野恩賜公園第二駐車場(バス)
利用料金:1時間まで 1,000円、以後30分毎に 500円
台数:バス24台
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