【女一人旅】死にたいなんて思うなら、長州行って 熱くなれ!(⑴吉田松陰の生き方から学ぼう!)山口県萩市の観光地巡り、自己啓発

生きるのが嫌になった

太宰治のような見出しですが、私も人生に悲観した日がありました。そんな時は、やっぱり「死ぬ前にしておきたいこと」を考えるんですよね。10個、100個といっぱい書き上げている人は多いのですが、私はガチで落ち込んでいたため、そんなに頑張れる気がせず たった3つだけ挙げました。 

⑴自分の思いを文章に残すこと

⑵ロシアの極寒を体験すること

山口県へ行くこと 

今回は、現地の詳しい情報ではなく 感じたことに焦点を当てて、私が ”山口県でもらったもの” 、熱くなること、自分の感情や想いをぶつけまくった内容を書いてみます。

 ※2018年4月末に、山口県萩市を訪れました。

どんな旅?

いつ:2018年4月26日(木)~4月30日(月) どこ:山口県
だれ:女一人旅
なに:歴史を巡る旅
なぜ:死ぬ前に行きたかった
どのように:新山口 ⇒ 萩 ⇒ 青海島 ⇒ 角島 ⇒ 下関 ⇒ 宇部 どのくらい:3泊5日(車中泊あり)
いくらで:なるべく安く!

なぜ、山口県

それは、吉田松陰 先生の故郷だからです。

今思えば、私の悩みなんて一時的なことでした。1ヶ月や1年、悩んだのはその程度。年齢を分母にしたら、分子は たったそれだけなんです。でもこの僅かな時間にとても苦しみ、生きていたくないとさえ考えた あの頃。私にとって山口県へ行ったことは、人生の大切な時間です。大切な時間を過ごしたこの旅を 振り返ってみます。

幕末の名残り

「ウチの親、新潟出身なんだけどさ。大河ドラマ薩長が主役になると怒るんだよね」

以前 こんな興味深い話を聞きました。その方の親御さんは、もちろん江戸時代の生まれではありません。しかし、戦前戦後生まれの曽祖父母や祖父母には、まだ江戸の名残りが残っていることが分かります。高知県では未だ上士・郷士の身分格差が残る、福井県に行ったら越前・若狭で差別意識がある、福島県(会津)で就職した人の出身地が鹿児島県(薩摩)と判明して左遷になった、なんて話も聞きました。面白いですよね。

私は幕末の歴史が特に好きですが、旧幕府軍と新政府軍なら?と聞かれると、答えることは出来ません。それぞれが懸命に時代を生き、国を憂い、血を流し、どちらもかけがえのない存在だと思うからです。長州の男たちは過激で、人間味溢れ、彼らの熱い生き方を感じる山口県が、私は大好きです。

吉田松陰の人生

吉田松陰、26歳ごろ

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10歳で教師、20代前半で全国を旅して学ぶ

松陰先生は、幼い頃から教師(兵学 師範代)になるため、叔父さんからスパルタ教育を受けます。過酷な教育環境の中に叔父や家族の愛があり、10歳で教師(明倫館で)、11歳でお殿様に教えられるほどに成長しました。19歳で教授となり、21歳から25歳までの間には全国を旅しました。

死んでも学んでやる!

そして23歳の時、神奈川県(浦賀)で黒船を見てしまいます。わー凄いだけでは終らず、とことん突き詰めたいと考え、海外に行こう(密航)としたのですが、失敗に終わります。この時の決まりでは、密航は本来、死刑になります。吉田松陰はそれほどの覚悟を持って、行動したのです。

投獄生活も満喫しちゃう

なんとか死刑は免れましたが、牢屋へ入ることになりました(野山獄)。そこでも勉強大好きな松陰先生は本を読み漁ります。1年2ヶ月の牢獄生活で、600冊を読破。1日1冊読んで 、更に1週間のうち3冊位読んでいたんですね。(14ヶ月=365日+約60日=425日、600冊-425日=175冊➗14ヶ月➗4週間)

それだけではありません。松陰先生は牢屋に入れられてた人とも親しくなり、それぞれの得意分野を教え合うようになりました。罪のあるなしに関わらず、それぞれが能力を発揮できる場をつくり、皆が教え合い、学べる環境を整えました。

塾を開いたら大人気!

牢屋を出て、自宅謹慎中の身となり、松陰先生は ”松下村塾” を開きます。そこに”教科書に名前が出てくる人たち” 、歴史上の偉人が生徒として集まってきました。

最新情報がいつもそこに

山口県って 日本の端っこで、東京(江戸)からめっちゃ遠いです。でも、日本のトップニュースが知れる(飛耳長目)場所が、松下村塾だったんですね。

偉い人に楯突いたら殺されちゃうのに・・

その後、松陰先生は政治批判をします。まず手紙を書きました(長州藩へ意見書の提出)。するとまた牢屋へカムバック。山口県の偉い人(長州藩)から、国の偉い人(幕府)から取り調べを受けることとなりました。そこで松陰先生は、こんなことを話しちゃいました。

「自分は政治家が間違っていると思うんですよ。アイツのことを殺そうと思ってます(間部詮勝暗殺計画)。江戸へ行く途中の殿(毛利敬親)を誘拐して、天皇チクリ入れて欲しいんです。幕府に今の政治をやめろって!(伏見要駕策)。」

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(風雲児たち / みなもと太郎)

うん、過激ですよね。でも吉田松陰は狂人になれ、狂っていると言われる位に熱くなれ!と教え、自らもそのように行動したのです。こうして、松陰先生の死刑が確定しました。政治批判への取り締まりが厳しい時代だったのです(安政の大獄)。そして、こんな歌を詠みます。(辞世の句・昔の人は死ぬ前に俳句を詠んだ)

~身はたとい武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂

~東京で死ぬけど、俺のハートは日本と共に熱く生きるゼ!(超訳)~(留魂録)

吉田松陰の教え方 

「いまやろう」か「そのうちに」か

”やろうと決めたら、まずはきっかけとなる行動を起こす”。吉田松陰は、行動につながらない学問は無意味だと考えました。大切なのは「いかに早く、多くの失敗を重ねることができるか」「未来はいくらでも自分で生み出すことができるという自信」です。頭の中だけで、「いつの日か、十分な知識、道具、技術、資金、やろうという気力、いけるという予感、やりきれる体力、そのすべてが完璧にそろう時期がくる」と信じているようでは、”そのうちに” が来ないまま、人生は終わってしまいます。まずは行動、たった一度負けたくらいで、やめないでください。

挫折の素晴らしさ

鉄は何度も熱い火の中に入れられて、何度も固い金槌で叩かれて、はじめて名剣に仕上がります。理不尽で不都合な人生経験の数々が、あなたを美しく研ぎ澄ますのです。雑音(他人の言葉)から距離を置いて、ひとり静かに考えてみましょう。

安定した生活の先に

皆、自分の居場所を手に入れるのに必死です。能力を認められて自分の居場所を手に入れたら、次はひとつ上の暮らし、地位、家族、実績などが欲しくなります。すると今度は、居場所を守るため、生き方や信念を曲げられるようになっていきます。

そうして得た 安定した生活 の先には、目に見えぬものに怯えるつまらない日々しか待っていないことを知っていますか。逆境や不安に動じることなく、自分の信じる生き方を通すことこそが、心からの満足を得る生き方なのですから。 

教育者として

名を残す男達を育てた 吉田松陰 は、”志を教えれば、人は自ら学び始める” と信じていました。教育は、知識だけを伝えても意味が無い。教える者の生き方が 学ぶ者を感化して、はじめて成果が得られるのだと考えていました。 

山口県萩市で学んだこと 

改めて記事を書きますが、明倫館(萩の観光名所のひとつ)でも 素晴らしいお話を伺いました。

吉田松陰先生は、「こうだったら嫌だ」「こうすべき」がなく、「こうしたらどうだろう」と考えます。今の時代はその発想に至る人が少なくなってきていて、物事をネガティブに捉えたり、まず保身を考えてしまいます。でも、松陰先生にはそのような発想が全くない。松陰先生の生き方からも、夷狄(黒船で来た外国人)に勝つためにはどうしたら良いか、今はまだ勝てないならどうやって勝つか、ポジティブな発想で考えるんですよね。

私の生き方 

死ぬ恐怖、生きる恐怖

私はですね、あまり身体が丈夫ではないので、もしかしたら 志(夢)半ばで尽きるかもしれない恐怖を抱えています。薄れゆく意識の中、これが自分の人生だったと納得出来るのかな、一生懸命だったと言えるかな、自分をちゃんと誇れるかなって、いつも考えちゃうんですよね。

習うより慣れろ

皆、自分のやりたいことを持っているのに、何かやろうと決めた時 ”準備” が必要と言って、いつまでも行動しない人はいっぱい居ます。”考えて行動に移せば上手くいく” くらい、その人のやりたいことは簡単なのかなって思います。私は決めたら直ぐ実行したいし、やってみてから知ることばかりだし、思いを抱えたままで死んでしまったら、”その事に携わった自分” を残せないまま終わってしまいますよね。その方ががよっぽど嫌です。 

一番の失敗

失敗って、何ですか? お金で損したことですか、納得できる結果を得られなかったことですか。どんな自分になりたかったかの方が重要じゃないんですか。リスク大きいよね、と言われると、私は「リスクって例えば?」「失敗ってどれを指すの?」「自分の人生でやらなかった、その戻ってこない時間を失ったことこそ失敗だよね」って答えちゃいます。 

順風満帆な人生

私は、世間体といった意味では最低の人生を歩んでます。超がつくほどの底辺な人間です。でも私の人生は失敗ですかね?人が出来ない経験をいっぱいさせてもらって、とても感謝してますけどね。そもそも ”順風満帆な人生” なんてあるのでしょうか。理想的とされるような人生を送ってきた人の心が、必ずしも幸せであるとは限らないように思います。安定を求めて・・って、今のコロナ禍でそんなもの無いって分かったじゃないですか。あまり人と自分を比べても、幸せにはなれないんですよね。 

何のために生きるか

私が「物書きになりたい」って言うと、周囲は冷ややかな目で私を見ますし、「あの人また変わったことしてる」って馬鹿にされます。でも、私は自分の才能を余すことなく発揮したいし、何を差し置いても自分がしていたいことは "書くこと" なんですよね。ブログは良いです、本当に良いです。この時代に生まれて、本当に幸せ。自分の好きなことをやって評価されたら素晴らしいことですけど、まず私は私の書いた文章が大好きですし、自分の文章作成能力を向上させるためなら苦労なんて感じないですし、誰かが私の書いたことを見てくれるだけで めっちゃ嬉しくなります。とりあえず今はまだ贅沢しなければ生きてはいけるから、自分がやり切れる限り この才能をつかって 誰かを楽しませたいです。私のこの文章能力だけは、完璧だわー、超ナルシストだわー、って ニヤニヤしながら書いて、書くために生きてます。

PV数をどう考えるか

「アクセス数がいくつになった」とか「これをやれば収入がこんなに」とか、私はそんな文章は書きたくないんです。このブログを読んでくれる人には、まず ”自分を認め、自分を高めろ!”と伝えたいですよね。

私が山口県へ行きたいと思う位に落ち込んだ時は、ノウハウ (手続き的な知識) などまるで役に立たず、精神論が自分を助けてくれました。だからこそ、考え方が大事。これこそが人を励まし、強くするものだと信じてます。それに、二番手三番手のことをやって生きて面白い?とも思ってます。だって、才能や能力が全くない人を見たことが無いし、世間で良しとされている当たり前の枠組みにあなたを収めてしまったら、あなたのあなたらしさなんて出せますかね。

私は、このブログの後方支援をしてくれる人へ報告をしなくてはならないので、PV数を見てはいます。数字を見て色んなことを考えますが、このブログを 読んでくれる人を楽しませたいし、面白いと思わせたい!と考えて、楽しみながら書いてますよね。

人に与えられた時間=限りある命 ですから、貴重な時間を割いて読んでくれる人が居るって幸せですよね。数字より、1人ひとりの心がやっぱり嬉しいです。 

参考

感想 

死にざまを見せつける

外国人が驚く、日本侍の ”ハラキリ”。江戸時代は武士が自ら死なねばならぬ時、お腹を切って死ぬ (切腹) ことが名誉とされていました。しかし、吉田松陰は罪を犯した人として扱われ、首を切られて死にました (斬首)。しかし処刑される日も全く動じることなく、決められてしまった死を受け入れたのです。

松陰先生の考え方で、私は特にこれが好きです。

法を破ったら、罪をつぐなえますが、自分の美学を破ってしまったら、一体誰に向かってつぐなえますか。

或る天才の死

同じ時代を生きた橋本左内と言う人物が居まして、彼も政治犯として扱われ、死刑を命ぜられました(安政の大獄)。まだ25歳だった左内は、処刑される瞬間、静かに涙を流したそうです。左内は天才と称され、若くして日本全国の重要人物と繋がりを持ち、一生懸命働きました。私は、そんな左内が自らの命を惜しんで泣いたことはとても切ないし、”死に際こそが人の集大成である” と考えました。命を惜しむ美しさ、死を受け入れる美しさ。正直、自分は死に抗うか、受け入れるか、今はまだ分からないです。でも、松陰先生の言葉はよく思い出します。

心なることの種々書き置きぬ 思い残せることなかりけり

嫌でも人は老いていき、必ず死の時を迎えます。死などは問題ではなくて、あなたがその命をどうつかったか、それだけです。

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