【女一人旅】死にたいなんて思うなら、長州行って 熱くなれ!(⑶幕末好きの墓マイラーへ)吉田松陰、久坂玄瑞、高杉晋作、歴史

いつも超周辺 (東京) の墓参りばかりなので、長州編を書いてみます。

 ※2018年4月末に、山口県萩市を訪れました。

観光ルート案内

萩の観光ルートは大きく2つ。

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高杉晋作(萩城城下町)コース

吉田松陰(旧松本村)コース

富裕層(上級武士)の高杉晋作城のそばに住んでいて、貧困層(下級武士)だった吉田松陰中心地(三角州内)の外に住んでいたからです。 

正確には、あくる日の大火で城下にあった吉田松陰の実家は焼けてしまいました。貧しい暮らしだったのでこれを機に農業をして暮らそうと、彼らは百姓の暮らす川越しに転居していったのです。吉田松陰は養子に出ているため、元々の名字は ”(すぎ)” と言います。杉家の次男坊が寅次郎、つまり松陰です。吉田家は代々、藩の 兵学 (軍事)師範という職についていて、身分は低くありません。

旧松本村コース

まず私が巡ったのは、この旧松本村コースです。東萩駅付近にあります。 

吉田松陰墓所・生誕地 ☚ 今ココ

玉木文之進 旧宅

伊藤博文 旧宅・別邸

吉田稔磨 生誕地

松陰神社

吉田松陰 幽囚ノ旧宅

至誠館

松下村塾 

まずは墓マイラー

私は食事を終え(⑵の記事を参照)、市内の”まぁーるバス” (東を回る”松陰先生”)で まず向かったのは、お墓参り。f:id:mari24jp:20201214223906j:plain

静かで自然豊かなこの場所は 団子岩 と言いまして、 吉田松陰の生まれた場所であり、墓所があります。長州男児の熱ーーい魂も供養されています。

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吉田松陰、ここに眠る?

本当は萩に眠りたかった

吉田松陰は、遺書(留魂録)で「身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂」と書いているように、東京(武蔵野)で亡くなりました。遺体は弟子が引き取り、南千住(小塚原刑場)から世田谷(松陰神社)に埋葬しています。でも萩にもお墓が? それは、またまた弟子たちによって、松陰の実家の墓所に遺髪を供養したからなのです。

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お賽銭入れ

私はこの”お賽銭入れ”を見た時、観光地に有りがちな ”金の臭い” を感じました。しかし、その考えは誤りです。武士は食わねど高楊枝 的な考え方か、長州のプライドと言いますか、マイラー達に便利なお線香が用意されているのです。私からは 100円寄付しておきました。このように萩は親切なんですよね。こんな親切を 他でも新設して欲しいです。

墓所に眠る メンバー 

ここで供養されているのは、こんな方々です。 

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上段左から

吉田 稔磨 (松陰門下生 四天王の1人)

吉田 庫三 (吉田家十一代 松陰の甥)

吉田 松陰 (長州藩 兵学師範代)

吉田 大助 (松陰の養父・叔父)

高杉 晋作 (松陰門下生 四天王、双璧の1人)

杉 民治 (松陰の実兄・杉家の長男)

枝葉 杉家先祖 (合葬墓)

杉家 先祖 (合葬墓)

相次郎・瀧子 ()

久坂玄瑞  (松陰門下生 四天王、双璧の1人)

玉木文之進 (松下村塾 創設者・松陰の叔父)

玉木 正之(文之進の養子と民治の娘の子とその妻) 

下段左から

杉 敏三郎 (松陰の実弟)

吉田 道子 (松陰の姪)

吉田 小太郎 (松陰の甥)

杉 百合之助 (松陰の実父)

久坂 玄機 (玄瑞の兄)

久坂 良迪 (玄瑞の父) ”りょうてき”と読みます 

 

以下の通り、主に杉家の墓所です。f:id:mari24jp:20201214221758j:plain

近現代・系図ワールドより:https://kingendaikeizu.net/yosidasyouin.htm 

建立の経緯など

吉田松陰の墓は高さ0.8m、幅0.45mの花こう岩質の自然石で作られている。安山岩切石の台座を含めた総高は1.6mである。

表に「松陰 二十一回 猛士 墓」、裏に「姓吉田氏 称寅次郎 安政六年己未十月二十七日 於江戸歿 享年 三十歳」と刻まれている。

万延元年(1860年)2月7日は松陰没後百ヶ日に当たるので、生家の杉家で百ヶ日忌を営み遺髪を埋めて作られたものである。

墓前には、門人の前原(佐世)一誠・久坂玄瑞(誠)・品川弥次郎(日孜)・伊藤博文(和卿)・高杉晋作(春風)など 17名が寄進して、その名を公然と刻んだ石製水盆、花立、燈籠が供えられている。

また、この墓所には杉家、吉田家、玉木家、久坂家一族と高杉晋作など松陰とゆかりの深い人々の墓が立ち並んでいる。(立札より)

Graveyard of Yoshida Shoin

The gravestone of Yoshida Shoin is made of natural granete. 0.8M in height and 0.45M in width. The height of the  andesite including the pedestal is 1.6M. It is inscribed on the front with the words "Grave of Shoin, Nijuikkai Moshi (his self- chosen name)" and on the back with the words "Yoshida Torajiro, died age 30 in Edo on October 27, Ansei 6 (1859)". The gravestone was crected for the 100th day mourning ceremony that was conducted at his birthplace, the Sugi family home, on February 7. Manen 1 (1860). A lock of Shoin's hair was buried here on the 100th day following his death. Seventeen of his disciples, such as Maebara Issei, Kusaka Genzui, Shinagawa Yajiro, Ito Hirobumi and Takasugi Shinsaku, donated a stone basin, a stone vase, and stone lanterns openly inscribed with their names, which remain in front of the gravestone. Shinsaku, and other persons with close connestions to Shoin.

二十一回 猛士 とは

吉田松陰の墓に刻まれている ”二十一回 猛士” を説明いたします。

(木へんの部分)、(さんづくりの部分) 18+3 = 21

吉田 = (士かんむりの部分)、十(田の中身)、10+1+10=21

×

21回

吉田松陰の名前は ”次郎”、寅=虎=🐅 (勇な野獣)、士=侍・武士

猛士

私としては、吉田松陰は ”孟子” にもかけていると思います。(孟子の学者でもあった)

吉田松陰の墓 建立者

大罪人の師匠のため

吉田松陰は、当時の死刑制度の中でも不名誉とされる首切り(斬首)で亡くなりました。そのため、生半可な気持ちで埋葬したり、墓を建てたりは出来ません。しかし弟子達は生前(刑務所に入っている頃)から吉田松陰を守っていました。高杉晋作桂小五郎(木戸孝允)はお坊ちゃまですから、親から藩から金をせびって、吉田松陰のために付け届け(賄賂)を送り続けていました。亡くなった後もこのように、多くの弟子が自らの名を刻み、吉田松陰の死を悼みました。

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吉田松陰の墓 建立者

1、久保 清太郎 (久保 久清) 生没年:1832~1878

尊王攘夷 運動に加わるも、文久3年(1863) 代官に就任し民政に従事。維新後は山口県権参事など、地方官を歴任した。

2、前原 一誠 (佐世 一誠) 生没年:1834~1876

幕長戦争(四境戦争)に出征。維新後は越後府判事・兵部大輔を歴任。明治9年(1876) 萩の乱を首謀した。

3、久坂 玄瑞 (久坂 誠) 生没年:1840~1864

松陰刑死後、松下村塾の中心人物として塾生の結束を固める。尊王攘夷運動を指導するも、禁門の変に敗れ自刃した。

4、岡部 富太郎 (岡部 利済) 生没年:1840~1895

元治元年(1864) 大組隊の副長参謀となる。幕長戦争(四境戦争)に出征。維新後は地方官をつとめた。

5、福原 又四郎 (福原 利賽) 生没年:1841~1910

元治元年(1864)干城隊に入る。幕長戦争(四境戦争)に出征。維新後は山口で刑務官をつとめた。

6、中谷 正亮 (中谷 実之) 生没年:1831~1862

藩校明倫館での成績はつねに首席。嘉永4年(1851) 松陰とともに江戸に遊学。松陰刑死後は松下村塾で指導した。

7、高杉 晋作 (高杉 春風) 生没年:1839~1867

文久2年(1862) 上海に渡り、欧米列強への危機感を強める。翌年奇兵隊を創設。幕長戦争(四境戦争)に活躍した。

8、有吉 熊次郎 (有吉 良明) 生没年:1842~1864

慶応3年(1867) イギリスに留学。維新後に帰国し、長崎で造船の近代化に力を尽くす.

官営長崎造船局の初代局長。

9、渡辺 蒿蔵 (天野 一寛) 生没年:1843~1939

慶応3年(1867) イギリスに留学。維新後に帰国し、長崎で造船の近代化に力を尽くす。官営長崎造船局の初代局長。

10、寺島 忠三郎 (作間 昌昭) 生没年:1843~1864

イギリス公使館の焼打ちなど、尊王攘夷運動に奔走。元治元年(1864) 禁門の変に敗れ、久坂玄瑞とともに自刃した。

11、時山 直八 (時山 済) 生没年:1838~1868

慶応2年(1866) 幕長戦争(四境戦争)で活躍、戊辰戦争奇兵隊参謀として戦うも、越後の朝日山で敵弾に倒れた。

12、伊藤 博文 (伊藤 和郷) 生没年:1841~1909

イギリスへ密航留学後、討幕運動に奔走。維新後は日本の近代化の礎を築き、初代首相に就任。憲法制定に尽力した。

13、入江 九一 (入江 弘致) 生没年:1837~1864

高杉晋作奇兵隊結成を補佐。京都で情報収集を担当。禁門の変に敗れ、久坂玄瑞に後を託され脱出を図るも自刃した。

14、野村 靖 (野村 旨綏) 生没年:1842~1909

討幕運動に参加。明治4年(1871)岩倉使節団に加わり、欧米諸国を視察する。内務大臣や逓信大臣などを歴任した。

15、松浦 松洞 (松浦 無窮) 生没年:1837~1862

修行のため諸国を遊歴。文久2年(1862) 長井雅楽の暗殺を企てるも、果たせずに自刃した。吉田松陰肖像画の作者。

16、増野 徳民 (増野 乾) 生没年:1841~1877

尊王攘夷運動に加わるも、藩の取り締まりにあい故郷 本郷村 (現岩国市)に戻される。維新後は医者をしながら塾を開いた。

17、品川 弥二郎 (品川 日孜) 生没年:1843~1900

薩長提携、討幕運動に奔走。維新後はドイツに留学。明治24年(1891) 内務大臣となる。信用組合の普及に尽力した。

墓前の水盤や花立は松陰の妹たちと17名の門人が名前入りで寄進したもの、当時、松陰は幕府から第一級の大罪人とされており、その松陰へ対し名前を刻んでの寄進は勇気のいる行動であった。(立札より)

高杉晋作

 一段上にあるのが高杉晋作の墓です。このように少し間隔をあけて建っています。下段が吉田松陰ら 吉田家 の墓です。

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高杉晋作

松下村塾に学び吉田松陰門下の(○○)。久坂玄瑞と並ぶ松下村塾の双璧の一人。奇兵隊を創立。慶応三年(1867) 没。 享年 二十九歳 (立札より)

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高杉晋作と言えば、特に人気のある幕末の志士ですが、慶応3年10月14日(1867年11月9日)の徳川幕府の政権返上(大政奉還)を知ることなく、慶応三年4月14日(1867年5月17日)に 結核で亡くなりました。あと半年だけでも生き、時代を感じられたら と思うと切ないです。

ちなみに高杉晋作の遺骸は遺言によって、山口県下関市吉田町の ”東行庵” に葬られています。東行庵は奇兵隊の本拠近くで、高杉晋作に強い思い入れがあったことが伺えます。 

感想

吉田松陰の墓はこの通り、花があり、香炉があり、人気格差を感じます。

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ちなみに私は 久坂玄瑞 が好きなので、この地を訪れた時 吉田松陰だけでなく久坂玄瑞にも線香をあげました。久坂玄瑞もおそらくここに遺骸はなく(京都で自害)、遺髪のみが供養されたのだと思いますが、髪の毛だけでも故郷の萩に留まり、時代の行く末を見守っているのは良いですよね。 

あとがき

人がテーマだと深すぎる件

毎日更新しようと決めていたものの、山口シリーズの更新は 前回からまた3日もかかってしまいました。はじめは旅行1日目を全て1つの記事にまとめようとしたのですが、書きたいことが多すぎて、萩の偉人の墓所だけに絞る事にしました。話に事欠かないのが長州ですし、長州だけに限らず、人の歴史は誰の人生もすべてが面白くて美しいんですよね。結局、この観光地にあるものと、補足が主となっています。

この記事を投稿するまでに読んだ・読み返した作品はコチラ。

風雲児たち/みなもと太郎(漫画)」

風雲児たち幕末編/みなもと太郎(漫画)」

「おーい竜馬/小山ゆう(漫画)」

「世に住む日日/司馬遼太郎(小説)」

吉田松陰を語る/橋川文三司馬遼太郎(書籍)」

司馬遼太郎がかかなかった幕末/一坂太郎(新書)」

その他、webサイト「萩市観光協会公式サイト」「刀剣ワールド」「東行庵HP」を参考にさせていただきました。

無知からの一歩

幕末と言うのは遠いようで案外近い時代の話です。だからこそ知ってる人も多いし、ファンも多いので、調べるほど別方向の諸説だらけとなってしまい、書いても書いても記事の内容がまとまりませんでした。多くの人が既に書いているし、テーマにある ”長州の熱い志” を書くには一夕一朝で終えるものではありません。元々好きだからというのもありますが、読んだり見たりすることは全然苦になりません。今回のことで読む機会が出来、さらに歴史の奥深さを垣間見た気がします。解読困難な古文書を読んでまとめてくれた学者や、面白おかしく分かりやすく描いてくれた作家や漫画家に感謝せずにはいられませんね。

と言うことで、私が便利だと思う旅行の情報をつめこんでみました。最近ではコロナ感染者が増加し、旅行もままならず、国に振り回され、業界も旅行者も辛い時期ですが、私の行ったことのある場所を書き、読んでいただくことで、少しでも日本の歴史や文化に触れ、楽しい気分になったら幸いです。

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ご拝読ありがとうございました。