【女一人旅】死にたいなんて思うなら、長州行って 熱くなれ!(⑸長州の人間について書きたいと思う)玉木文之進、吉田松陰、歴史

長州の人間のことを書きたいと思う。 by:世に住む日日/司馬遼太郎

私の特に好きな、玉木文之進について書いてみます。

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 ※2018年4月末に、山口県萩市を訪れました。

観光ルート案内

萩の観光ルートは大きく2つ。

高杉晋作(萩城城下町)コース

吉田松陰(旧松本村)コース

 

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萩まちあるきマップより:萩まちじゅう博物館 維新の里(旧松本村)史跡案内図

 

旧松本村コース

私が初日に行ったのは、⑵松本村コースです。私は⑦から①まで 逆に巡りました。

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吉田松陰墓所・生誕地

玉木文之進 旧宅 ☚ 今ココ

伊藤博文 旧宅・別邸

吉田稔磨 生誕地

吉田松陰 幽囚ノ旧宅

松下村塾

至誠館

松陰神社 

好きな長州人ベスト5

私の好きな長州人 (2020年12月現在)

1位 村田蔵六 (大村益次郎)

2位 玉木文之進 ☚ 今回のテーマ

3位 吉田松陰

4位 久坂玄瑞

5位 高杉晋作 

幕末維新期に活躍した人々 人物相関図|萩市観光協会公式サイト|山口県萩市

長州には魅力的な人物が多く順位をつけるのが難しいのですが、知りたくなる人物を挙げるなら、こんな感じです。玉木文之進は教科書に載る人物ではありませんが、日本が明治維新を成すのに必要な ”教育” を施した人物です。 

玉木文之進

玉木文之進は、文化7年(1810)に萩藩士・杉 七兵衛の三男として生まれ、11歳で玉木 十右衛門の後を継ぎました。彼は実兄2人(長兄・百合之助、次兄・大助)にも負けない勉強家で、謹厳・剛直な性格です。天保13年(1842)松下村塾を開き、吉田松陰兵学師範にすべく養育した1人で、吉田松陰の後見人でもありました。

 

松下村塾創立者

松陰が12歳の時、玉木文之進は松本村の下の学校として ”松下村塾” を開き、身分に関係なく無報酬で子ども達に学問を教えました。彼の専門は ”経学(政治学)” です。

考え方を伝えることこそ教育である」とし、人を育てていきました。

教育の理念と方針 

私欲を捨てよ、公(国)に尽くせ、

形式から精神に入るという教育思想の熱狂的な信奉者が玉木文之進だったのだろう。肉体を殴りつけることによって恐怖させ、そういう人間の本然の情(私利私欲)を封じ込んでしまおう、というのが彼のやり方であった。

体罰の凄まじさ

ある夏のこと、「それでも侍の子か」と声をあげるなり松陰をなぐりたおし、起きあがるとまたなぐり、ついに崖に向かってつきとばした。松陰はころがりおち、切り株に横腹を打って気絶した。この不幸な現場をみていたお滝は(死んだ)とおもった。玉木文之進に教育がまかされている以上、とやかくいうことはできない。「寅(吉田松陰)や、いっそお死に。死んでしまえばいいのに」と、文之進にきこえぬよう、ちょうど祈るようにつぶやきつづけた。「あんなひどい目にあって、よくしななかったものだ」と、松陰は洩らしたことがある。

教育者として認められ、役人に抜擢

「師は、たれ(誰)であるか」

「これなる寅次郎(吉田松陰)の叔父 玉木文之進でござります」

長州藩主 毛利慶親ははじめてそういう家来(玉木文之進)がいることを知った。玉木文之進は挙げられて「八組証人役」という官職についた。しだいに民政家として藩にみとめられ、やがて数郡を宰領する地方官になり、のちさらに抜擢されて藩の重役になる。

(世に住む日日/司馬遼太郎より 一部省略)

侍とはなにか。

玉木文之進は「侍は作るものだ、生まれるものではない」「侍の定義は公にためにつくすものであるという以外にない」が持説で、極端に私情を排しました。吉田松陰は5歳から18歳までのあいだ(幼児・児童・少年)、このような家庭教師から教育をうけ、8歳で教授見習い、10歳で藩校の兵学師範となり、11歳で藩主に御前講義、19歳で立派な長州藩の教授となりました。

許されない、育たない?

教え、育む (教育) の結果

今の日本では ”体罰は悪い行い” として、法律で定められています。また過剰な正義論の情報化社会ですから、教師の体罰は直ちに発覚し炎上し、大問題となります。 

玉木文之進の教育は、現在では認められていません。

学校教育法 第11条

”校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、監督庁の定めるところにより、学生、生徒及び児童に懲戒を加えることができる。但し、体罰を加えることはできない”  

(1)体罰(通常、体罰と判断されると考えられる行為)
○ 身体に対する侵害を内容とするもの

○ 被罰者に肉体的苦痛を与えるようなもの

(2)認められる懲戒(通常、懲戒権の範囲内と判断されると考えられる行為)
※ただし肉体的苦痛を伴わないものに限る。学校教育法施行規則に定める退学・停学・訓告以外で認められると考えられるものの例 

(3)正当な行為(通常、正当防衛、正当行為と判断されると考えられる行為)
○ 児童生徒から教員等に対する暴力行為に対して、教員等が防衛のためにやむを得ずした有形力の行使
○ 他の児童生徒に被害を及ぼすような暴力行為に対して、これを制止したり、目前の危険を回避するためにやむを得ずした有形力の行使

初等中等教育局児童生徒課:学校教育法(昭和二十二年三月二十九日法律第二十六号):文部科学省

名奉行、お代官さま

玉木文之進は、教育者としては鬼のように厳しかったのですが、役人としては仏のように優しかったそうです。代官ほか、藩校 明倫館の塾頭、郡奉行なども務めました。清廉潔白で加増(給料アップ)があるとすぐに返上し、余分の収入はすべて農民にために使いました。
 

百術 不如一清(ひゃくじゅつ いっせいにしかず)

叱らないといえば、文之進はいっさい下僚(部下)を叱ったり攻撃したりしたことがない。民政期間には賄賂や供応(おもてなし)がつきもので、それを激しく悪みはしたが、患部を剔りとるという手荒なことはせず、みずから清廉を守り、かれらが貪婪のわるいことをさとるようしむけた。松陰はこの師(玉木文之進)のみごとさとして生涯の誇りとした。

心ある、優秀な役人

文之進が代官として赴任した厚狭郡吉田(良田)郷は藩内でも貧窮地帯として知られていたが実情はほとんど藩庁に知られていない。文之進は実情調査からはじめた。

台帳をつくり、一軒ごと かれ自身が出むいて行って調査をした。庄屋(行政者)をひきつれ、いちいち家をたずね、土間に入り、その家族の顔を見、主人からその貧状を聞き、ときにはあまりの貧しさにぼう然とし、不幸ばなしに涙をこぼした。

(世に住む日日/司馬遼太郎より 一部省略) 

明治2(1869)年、役人を辞め、松下村塾を再興します。

壮絶な最期

明治9年(1876)の秋、前原一誠の起こした萩の乱を阻止出来ず、養嗣子(乃木大将の実弟)正誼をはじめ門弟が多く参加したことから「自己の教育責任を、一死以ってこれを償ふ」と言い、自刃した。享年66歳。

参考:旧松本村おたからマップ - 萩市ホームページ

人が亡くなるということは、その人に明日が来ない、未来を築き上げることが出来ないわけですが、江戸時代の人々は自らの命はここまでとして、自刃(自ら命を絶つ)ことが少なくありませんでした。

教育の責任は重い

玉木文之進は、教育者として、(養子の)として、反乱に関与した子の罪は自分の罪として、腹を切って死にました。切腹はとても痛い(当然ですが)ので、介錯(痛みから解放されるよう首を切り落とす)を姪の芳(よし)に頼み、先祖の墓前で自害しました。

玉木文之進 旧宅

松下村塾 発祥

天保13年(1842)、文之進は自宅(部屋住み・兄宅で居候)で近くの子どもを集めて塾を開き、”松下村塾” と名付けました。私塾は旧宅とはまた別の場所にありますが、創設者はこの 玉木文之進 です。

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写真のとおり、建物は木造茅葺き平屋建てで、8畳の座敷のほか4畳の畳部屋・3畳半の玄関、4畳半の板間と土間の台所があり、別に湯殿・便所があります。

開館:9時~17時 (年中無休) 拝観料:無料

 

Shokasonjuku Academy

Private school supervised by Yoshida Shoin in the late Edo period. Preaching the urgent importance of engineering studies, many students perfoemed significant roles in the modernization of Japan. This cram school was opened by Tamaki Bunnoshin.He is  Yoshida Shoin's uncle. 

感想

萩を巡るとき

萩は、”この場所にこれが在る” ではなく、”この場所にこんな浪漫がある” として巡るのがお勧めです。”玉木文之進の旧宅” も ただ見るのではなく、玉木文之進の生き様を知った上で この場に立ち、人を感じることに価値があると思います。

親の責任、先生の責任

私が世で一番許すまじと思うことは ”戦争”と”児童虐待” ですが、体罰虐待と同じだとは考えていません。玉木文之進の教育は、現代では決して許されるものではありませんが、「虐待だ」「体罰だ」と言って、親や先生が(しつけ)を教えることなく、子どもの好き勝手にさせてしまったら、一体子どもはいつ成長するのか?と考えてしまいます。

まだ娘が幼い頃、通っていた保育園に娘の同級生かつ同じ月生まれの女の子が居ました。身体の発達も同時期で仲が良く、また私は若いママで、人生の先輩であるそのご両親に色んなことを教えていただきました。「子どもはまだ動物と同じ。時には痛みで教えることも必要だよ」 今の私はあの頃のパパ・ママより年上となりましたが、改めてこの意見には賛成です。

13歳までの者は罰しない

今の日本の法律では、「14歳に満たない者の行為は罰しない(刑法41条)」としています。つまり、13歳未満の者は罪を犯しても逮捕されません(触法少年)。

少し掘り下げると、区分は、乳児(1歳未満)、幼児(満1歳から小学校就学まで)、少年(小学校就学から満18歳に達するまで)としています。14歳以下を ”触法少年”、14歳以上の犯罪者を”犯罪少年”、罪を犯す可能性がある者を ”虜犯少年” と言います。

子どもの残虐行為

私の親友は カマキリが苦手です。なぜなら、小学生の頃 隣の席のガキ大将がハサミを取り出し、手に持っていたカマキリを真っ二つに切ってしまった現場を目撃したからです。彼女は何をするんだろう・・と眺めていただけで、切った瞬間からその後は隣を見ることが出来なかったと言います。でも子どもは時にこんな残酷なことを平気でします。そんな子どもに言い聞かせて、「はい分かりました」と言うのでしょうか。

松下村塾の教え方

私は松下村塾を、情操教育をする私塾であったと考えています。何でもマニュアル化するのが今の常ですが、私は大切な子ども達に「考え方」こそ教え、時代の波すら楽しめるよう育てていきたいです。理想かもしれませんが、現実に変えていくにはまず思想を整えなければ叶いませんよね。情操教育は4つ、⑴科学的、⑵道徳的、⑶情緒的、⑷美的 に分けられます。どんな子だって子どもは宝。勇気と責任のある玉木文之進のように・・とは言いませんが(笑)、個性豊かで強い心を持った人間に育って欲しいと思います。 

あとがき

情熱的な人ね・・ポッ(照)

私が山口県に行った2018年は、明治維新から150年の記念すべき年でした。あれからもう2年以上経過し、日本は元号が変わり、世界は感染症から常識すら変わってしまい、じゃあ今を生きる自分も変えてしまおうと、ブロガーの道を志し、2020年12月現在、山口県を調べ直す毎日を過ごしています。

長州は色んな学者が研究を重ねているため、どんなことを書いたら良いか悩みました。そもそも私の持っている情報も写真も新しいとは言えないし、知識だって不十分、根強いファンや、歴史好きであろう萩の地元民が、長州の歴史をたくさん更新しています。

私が山口県に出来ることと言ったら、やっぱり自分の感情を書いてみる、どんな気持ちになったのか、どんな考えを持ったのか、その情熱を書いて伝えることでしょう。”恋は、苦しくて楽しい” と恋愛上手な作家の本で読みましたが、長州をまとめる作業は 私にとって まさに恋。膨大な量の資料をひたすら読んで、知って、でも楽しい(ハート)、といった具合です。

萩を調べていくと、萩出身の偉人はその人が飛び抜けて凄いのではなく、みな萩の町に育まれ、考え方を形成し、日本各地に巣立っていったように思います。評価されるべきは、育った者か?育てた者か? 萩の魅力を改めて知っていただけたら幸いです。

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