【女一人旅】東京あちこち・靖国神社 参拝(東京都千代田区を歩こう)理想の男性・大村益次郎

歴史が彼を必要としたとき忽然と現れ、その使命が終わると大急ぎで去った。神秘的でさえある(短篇・鬼謀の人 / 司馬遼太郎)

クリスマス、最愛の人と

2020年12月25日、クリスマス靖國神社 へ行きました。

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最愛のダーリンと共に過ごすクリスマス(ハート)。実は、幕末好きな私が一番好きな人物は ”大村益次郎(後ろの銅像の人物)” なのです。※1人で行きましたw

大村益次郎 まとめ

wiki で分かるような内容は長いので、短くまとめました。

●who

だれについて:大村 益次郎 (村田 蔵六) おおむら ますじろう / むらた ぞうろく

●when

いつ生きたか:幕末(江戸時代末期) (1825年6月18日〜1869年12月7日)

●where

どこで生まれたか:長州生まれ(周防国、現・山口県山口市)

どこで学んだか:三田尻(梅田幽斎、現・山口県防府市)、江戸(広瀬淡窓、現・東京都)、大坂・適塾(緒方洪庵、現・大阪府)

どこで働いたか:宇和島藩(伊達宗城、現・愛媛県宇和島市)、鳩居堂(きゅうきょどう。幕府下、現・東京都千代田区)、長州藩(現・山口県萩市)

●what

なにが出来たか:西洋の知識(蘭学者)を持ち、蘭方医学(西洋医学)を学び、兵学(軍事)を極めた。理数系と語学が得意だった。

●why

なぜ(縁):吉田松陰 刑死後、遺体安置所で桂小五郎と出会った。

どうして(功績):新政府軍の最高総司令官となり、明治維新を終わらせた。(諸説あり)

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銅像の碑文より

大村益次郎について

大村益次郎 は1824(文政7)年、周防国鋳銭司村(現・山口県山口市)の医者の家に生まれ、はじめ 村田蔵六 といった。広瀬淡窓について儒学を、緒方洪庵について蘭学を学び、嘉永の初め 宇和島藩に仕えて はじめて西洋式軍艦を設計建造。さらに江戸に出て 私塾「鳩居堂(ちっきょどう)」を開き、幕府の講武所教授等を勤め 蘭学者蘭方医兵学者としてその名を高めた。ついで桂小五郎の推薦により長州藩に仕え、(慶応2)年、第二次長州征伐の折に、石洲口の戦を指揮して幕府軍を破り戦術家として脚光を浴びた。戊辰戦争では新政府の軍務局判事に任じられ、大総督府に参じ 東北の乱を平定。ついで兵部大輔に任じられ、建議して軍制を洋式に改める事を主唱したため 攘夷主義者を刺激し、京都出張中の1869(明治2)年 9月、不満士族に襲われて重傷を被り、同年11月5日 大阪にて歿した。四十六歳。

銅像について

1869(明治2)年6月、戊辰戦争の戦歿者を祀る東京招魂社(現、靖國神社)の創建に際し、社地選定のため同月12日、この地を視察したことも記録に見え、靖國神社 創建者としての功績は大きく、1882(明治15)年、伯爵山田顕義らにより銅像の建立が発議され、宮内省から御下賜金の御沙汰もあり、彫刻師 大熊氏廣に塑型の製作が委嘱された。

製作・大熊氏廣について

大熊氏廣は1876(明治9)年、工部美術学校の開設と同時に租の彫刻科に入学し、イタリア人教師ラグーザの薫陶をうけ、同15年に首席で卒業する。卒業後は工部省に入り、皇居造営の彫刻制作に従事、1885(明治18)年に大村益次郎銅像製作を委嘱されると、この任を重んじ 彫刻研究のため欧州に留学する。パリ美術学校では ファルギエルにつき、ローマ美術学校では アレグレッティ、さらには 巨匠モンテヴェルデに入門した。大熊氏廣の帰朝後、漸く1893(明治26)年にいたりこの地にわが国最初の西洋式銅像が建立された。大熊は キヨソネ の描いた大村益次郎肖像画や 遺族らに取材しながら製作にあたったという。陣羽織をつけ 左手に双眼鏡をもち、東北の方を望む姿は、上野東叡山にたてこもる彰義隊討伐の時の様子といわれる。後に大熊は、有栖川宮熾仁(ありすがわのみや たるひと)親王小松宮彰仁(こまつのみや あきひと)親王などの彫像を製作し、文部省美術展覧会審査委員を務めた。

英語で紹介

Bronze Statue of Vice-Minister of War Omura Masujiro

Completed in 1893. Designed by Okuma Ujihiro and Cast by the Tokyo Military Arsenal.

Omura Masujiro, who played a seminal role in the creation of the modern japanese army during the "Meiji Restoration", a period of exceptional turbulence when japan was in the midst of frenzied efforts for rapid modernization and re-establishment of the Imperial rule, was born in 1824 to a physician's family in the Province of Suo (Choshu; presently Yamaguchi Prefecture). He studied Confucian philosophy under Hirose Tanso and followed Dutch studies under Ogata Koan. He also studied Western medicine, military tactics and technology and had the honor of designing the first Western-style warship in japan. He jumped into the national limelight as a military tactician in 1866 when the Choshu army under his command handily defeated the Shogunate troops sent against his province in the second of the Choshu expeditions. He was appointed vice-director of the militaly affairs department of the new Meiji government at the time of the Boshin Civil War and played an important role in subjugating the rebel troops in the Tohoku region. When he was later appointed vice-minister of war, Omura strongly advocated for the Westernization of the nation's military system, thereby incurring the wrath of the extreme nationalist reactionaries. In September, 1869, he was attacked and seriously wounden by a band of discontent samurai. He died in Osaka on November 5 of the same year because of the wound. He was 46 years old. Yasukuni Shrine, which is dedicated to the spirits who died for the country in wars in and after th Meiji Restoration, owes its inauguration to Omura Masujiro's immense efforts. In 1882, a decision was made to establish a bronze statue of Omura in the premises of the shrine and Sculptor Okuma Ujihiro was commissioned to design the statue. In the hope of doing full justice to the honor, Okuma went to France and Italy to closely study Western sculpture. In 1894, the statues of Omura Masujiro, the first Wastern-style bronze statue to make its debut in Japan, was installed at the present site. Later, Okuma designed a string of other bronze statues, including those of Prince Arisugawa-no-Miya Taruhito and Prince Komatsu-no-Miya Akihito and acted as a judge at the Ministry of Education's fine art exhibitions. 

マップ

九段下駅 方面から上がって、鳥居をくぐると真正面に大村益次郎銅像が見えます。

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参考書籍

 ・風雲児たち (漫画 / みなもと太郎)

花神 (長編小説 / 司馬遼太郎)

・鬼謀の人 (短編小説 / 司馬遼太郎)

大村益次郎 軍事の天才といわれた男 (新書 / 稲葉稔)

あとがき

いよいよ "靖國神社" について、書き始めました。

私は この神社に寄付を続けていますが、毎年 近代的になっている気がします。今回は正面入口にある、”大村益次郎銅像”についてをまとめました。大村益次郎は、私の理想。この記事以外でもまたご紹介出来たらと考えています。

神社仏閣、参拝の楽しみ

神社はどこも由緒があり、その日その場所で頂く御朱印も、参拝の楽しみの1つです。

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聖なる夜 = 正義なる夜?

夕暮れの大村益次郎は、神々しくて見惚れちゃいました。

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混乱が起こった時、偉人は際立ちます。私は、いつでもどこでも凄い人が居て、誰もがその可能性を秘めているのだと思います。歴史が”その人”を指名した時、直ぐ立ち上がれたら素晴らしいですね!

大村益次郎が正義であったかどうかは、分かりません。しかし、私は彼が賢く優しい男性だったと信じています。

概要

住所:東京都千代田区九段北3-1-1
電話:03-3261-8326 (代表)
時間:(通年)18:00まで、1・2・11・12月17:00まで
由緒:東京招魂社・1869(明治2)年6月29日
面積:調査中 

交通アクセス

【電車利用】

JR

中央・総武線(各駅停車)/「飯田橋駅(西口)」「市ヶ谷駅」下車 徒歩10分

地下鉄

東西線半蔵門線・都営新宿線九段下駅(出口1)」下車 徒歩5分
有楽町線南北線都営地下鉄 新宿線市ヶ谷駅(A4出口)」下車 徒歩10分
東西線有楽町線南北線飯田橋駅(A2出口、A5出口)」下車 徒歩10分

バス
九段下~高田馬場系統「九段上停留所」下車 徒歩1分

【車 利用】駐車場あり
営業時間:8:00〜22:00
利用料金:本殿内の正式参拝者は無料
台数:バス17台、乗用車70台、自動二輪車10台

 

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