【女一人旅】東京あちこち・上野恩賜公園(東京都台東区を歩こう)上野大仏とパゴダ

上野恩賜公園内の 上野大仏 と パゴダ(仏塔) にやって来ました。

はじめに

上野大仏合格祈願の御利益があるんだよ。近くの湯島天神で(願掛けしても)ダメだった人達が皆、ここでお詣りしていくと合格してさ⤴。お礼参りも多いんだよ⤴。何てったってアチラは学業、コッチは合格祈願だかんね⤴。勉強を頑張ったって受かんなきゃしゃーんないでしょ⤴。』

と、お寺さんが茨城弁で教えてくれました。(上がるイントネーションは記号で)

上野恩賜公園の記事 まとめ

上野大仏とパゴダ とは

階段を上ると、正面に薬師堂(パゴダ)、左側に上野大仏が在ります。薬師堂健康祈願上野大仏合格祈願です。

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薬師堂 

この建物は、”パゴダ薬師堂” と言います。パゴダとは ”仏塔” のこと。

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落ちない大仏

顔しか無い上野大仏、そのため”これ以上落ちない”=合格祈願として信仰を集めています。自虐っぽいのですが、この左側には合格を願う人々が書いた沢山の絵馬が掲げられていました。

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大仏は、⑴江戸の大地震、⑵江戸の火災、⑶戊辰戦争、⑷関東大震災、⑸太平洋戦争(金属供出命令)で胴体も頭も剝ぎ取られていき、ご尊顔だけが残りました。苦難を耐え忍ぶこの慈愛に満ちた御顔・・私は訪れた際にお賽銭を入れて、感謝を述べました。

大仏のこと

大仏殿は、1631(寛永8)年、越後村上の城主 堀直寄が、一丈六尺の釈迦像を造ったのが初めである。が、16年後の正保4年、地震のため この釈迦像の首が落ちた。

それからまた十数年の万治年間(1658~60)、木食浄雲なる僧が二丈二尺の唐銅の大仏を建てた。

ずっと露天のままだったが、それではお気の毒と堂宇を建てて入れ、1841(天保12)年までどうやら無事にすごした。が、その11月末に失火、また首がぽろりと落ちて江戸っ子を不気味がらせた。急いで首をつないだが、それから14年目の1855(安政2)年、有名な大地震のため三度首がもげた。さらに彰義隊の戦では無事だったが、大正12年の大震災には四度首が落ち、重ね重ねのご難つづきに、ついにこれを最後に取りこわされた。

※一丈六尺とは、”じょうろくぶつ” の略。如来の身長は一丈六尺とされている。 一丈=一尺×10、つまり一尺30.3cm × 16 =約 4m 85cm

 

本堂 薬師三尊像

堂内に ”薬師三尊像"が祀られています。

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中央が ”薬師瑠璃光如来(やくるりこうにょらい)”、右が ”日光菩薩(にっこうぼさつ)”、左が ”月光菩薩(げっこうぼさつ)” と言いまして、大医王仏とも称され 災いや病苦から救ってくださる仏様 です。実際はもっとデップリしたお姿です。神々しく美しい如来でした。(私・画)

祈願の仕方

⑴絵馬の準備

はじめに薬師如来の絵馬を札所にて授かり、願意(願い事)と願主名(お願いする人)を記入します。

⑵念仏とパゴダ一周

絵馬を合掌(掌合わせ)にはさみ、正面で一礼してから、真言を7回唱えながら時計回りにパゴダ(仏塔)を一周します。正面に戻り一礼し、絵馬をかけて祈願完了です。

真言:「オン・コロコロ・センダリ・マトウギ・ソワカ

正面を撮影することは禁止されていますので説明のみとなります。神社仏閣では御守や本堂を撮影することは禁止されています。なぜなら、神様を撮影することは不敬に当たるからです。マナーを守ってお参りしましょう! 

上野大仏と薬師堂(パゴダ)は、御朱印も御守も違います。書いてある梵字も異なりますので、ご参考までに。

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梵字とは:神仏を一字で表す神聖な文字

寺の手水の作法

入口から直ぐ左手に、手水舎(ちょうずしゃ)があります。

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御手水の作法

a.右手で柄杓を持ち、水を汲む

b.汲んだ水で左手を洗う(清める)

c.手を持ち替え、左手で水を汲む

d.汲んだ水で右手を洗う(清める)

e.手を持ち替え、右手で柄杓を持ち水を汲み、左手で水を受け、口をすすぐ

f.もう一度水を汲み、左手を洗う(清める)

神社とお寺で異なる作法

お寺の入口(山門)に一礼。※ここが神社の ”鳥居” に当たります。

手と口を清める。 

鐘をつく(鳴らす) ※ここには鐘がありません。

賽銭を入れ、鰐口(わにぐち)を鳴らし、合掌 ⇒ 一礼。

※神社と異なり、二礼・二拍手・一礼をしない。常識ですが念のため。

※鐘がある場合、参拝前に鐘を鳴らします。参拝後は ”戻り鐘(死体を運ぶ合図)” と言って縁起の悪い行為となるので、必ず参拝前に行います。 

お地蔵さんと墓

パゴダより少し低地にお地蔵さんが建っています。その奥にお墓があります。

地蔵菩薩は、地獄に落ちた人々を救済する菩薩です。

萬霊供養塔(ばんれいくようとう)は、この世のあらゆる生命の霊を宿らせ供養します。

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お地蔵さんも供養塔もまだ新しく、激動の時代に命を落とした方の御霊を慰めるために建てられたのではないか?と考えられます。キレイな花が手向けられていました。

この傍に、有名な老舗レストラン ”精養軒(せいようけん)” があります。

英語で紹介

上野大仏とパゴダ

正面の丘は、かつて「大仏山」と呼ばれ、丘上にはその名のとおり大きな釈迦如来坐像が安置されていた。

最初の大仏は、越後(現・新潟県) 村上藩主 堀直寄が、1631(寛永8)年に造立した2m80cm前後の釈迦如来像であったが、粘土を漆喰で固めたものであったため、1647(正保4)年の地震により倒壊してしまった。

1655~1660(明暦~万治年間)には、木食僧浄雲が江戸市民からの浄財によって、3m60㎝を超える青銅製の堂々たる釈迦如来坐像を造立した。その後、1698(元禄11)年輪王寺宮公 弁法親王が、同像を風雨から覆うための仏殿を建立。1841(天保12)年の火事によって大仏・仏殿ともに被害を受けたが、1年半後の1843(天保14)年には、最初の造立者 堀直寄の子孫直央(なおなか)が大仏を修復、幕府が仏殿を再建した。さらに、1855(安政2)年の大地震では大仏の頭部が倒壊したものの、間もなく堀家が修復している。

しかし、明治6年 上野公園開設の際に仏殿が取り壊され(年代については他に同9年・同10年の2説あり)、大正12年の関東大震災では大仏の面部が落下、さらに、第二次世界大戦における金属供出令により大仏の体・脚部を国へ供出したため、面部のみが寛永寺に遺った。寛永寺では、1972(昭和47)年兵陵の左手に壁面を設け、ここに「上野大仏」の顔をレリーフ浄に奉安した。

なお、江戸時代の大仏は、いずれも南に向かって造立され、兵陵の南側には当時の参道(石段)が現存する。

また、同じく兵陵上の正面にある建物は、「パゴダ(仏塔)」と呼ばれている。上野観光連盟が上野公園の名所のひとつとするために建設したもので、昭和42年3月着工、同年6月に完成した。高さ15ⅿ、内部には中央に薬師如来、左側に月光菩薩、右側に日光菩薩を安置している。この薬師三尊像は、江戸末期まで東照宮境内にあった薬師堂の本尊で、明治初期の神仏分離令により寛永寺に移管、さらにパゴダの本尊として迎えられた。

UENO GREAT BUDDHA AND PAGODA

During the Edo period with in the precincts of Kanei-ji temple, there was a great Buddha statue on top of hill in front of you. This site is known as "Daibutsu yama" (Great Buddha hill).

In 1631, the first great Buddha was created by a feudal lord Hori Naoyori. Lord Hori governed the area around Murakami in Niigata prefecture. It was a seated Buddha of 2.8 meters in height, but was destroyed by an earthquake in 1647.

The second Buddha was created by the monk Jyoun who collected (donations) money from Edo citizens. It was also a seated Buddha 3.6 meters tall.

The face of the second Buddha images fell off during the Great Kanto Earthquake in 1923, and later the body and pedestal were delivered to the gonernment under the Metal Acquisition Law, which ordered the delivery of metallic goods owned by citizens to the government, to produce weapons during the WWⅡ. Only the face remains at Kanei-ji temple. In 1967 a waal was built on top of the hill and the Buddha head was enshrined on the wall in a relief style setting. Then in 1972 the Ueno Tourist Association built the current pagoda, including three Buddhist images of Yasushi Nyorai (Physician of souls). Gakko Bosatsu and Nikko Bosatsu. 

まとめ

御利益について

上野大仏:合格祈願 = これ以上落ちないことから

薬師堂(パゴダ):健康祈願 = 薬師如来が祀られていることから

お作法について

寺院の参拝の仕方

御手水の仕方

周辺情報

寺院周辺には、地蔵菩薩と供養塔がある。 

あとがき

私が参拝していると、お寺の案内をされているお父さん(お寺さん)と参拝客であるご婦人方の会話が印象的でした。

『お寺や神社は朝だよ⤴。朝参拝すると良いって言われてるかんね⤴。ここは疫病の神様だから、病気を治したい人たちが来てんのよ⤴。』(茨城弁)

「(深くうなずき)私は癌だから、ちゃんと朝来てお参りすれば病気が治るかしら」

『あー⤴、んだら参拝してって⤴』

ご婦人方が去った後、私は勇気を出し(?)、気さくなお寺さんに話を伺ってみました。

「住職さん」

『住職ではないんだわ⤴。お寺の人間だけどね⤴。ここは、清水観音堂と一緒の管理運営なんだわ⤴。』

茨城県の方ですか?」

『そう、ミド(水戸)ね⤴』

話し上手なお寺さんは色々なエピソードをお聞かせくださいました。梵字やご利益について詳しく書けたのは、この方のお陰です。

『今はお寺が空いてんのは、3時(15時)までだから。またいつでも遊びに来て⤴』

撮影と取材が終わった後、自宅で色々な情報収集を行いました。多くの方が上野大仏とパゴダについて書かれていますが、他のブログ等では見られなかった話を載せておきます。社務所の奥にあった、”手作りの墓”です。

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私は時々オカルト・怪談も書いているので、怖いものを見てしまった感が否めません。お寺さんに聞いてみたところ、はぐらかされてしまいました。

概要

上野恩賜公園

住所:東京都台東区上野公園5-20
電話:03-3828-5644
開園時間:5:00〜23:00時間外は立入禁止)
休園日:12月29日〜1月3日(事務所業務休止)
開園年月日:明治6年10月19日
開園面積:538,506.96 ㎡

交通機関
電車を利用
・JRまたは東京メトロ銀座線・日比谷線「上野」駅下車 徒歩2分
都営地下鉄 大江戸線上野御徒町」駅下車 徒歩5分
・京成線「京成上野」駅下車 徒歩1分

車を利用
上野恩賜公園第一駐車場(普通車)
営業時間: 9:00〜21:30(入庫は 19:30まで)
利用料金:1時間まで400円、以後30分毎に200円
台数:100台
上野恩賜公園第二駐車場(バス)
利用料金:1時間まで 1,000円、以後30分毎に 500円
台数:バス24台

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