【女一人旅】東京あちこち・東京大空襲(東京都墨田区を歩こう)すみだ郷土文化資料館・隅田公園

1945年3月10日

76年前のこの日、東京は焼け野原になりました。

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戦争を忘れちゃいけない。私達はその悲惨さを記憶に残し、二度と戦争を起こしてはならないという強い意志を持たなくてはならないのです。

東京大空襲の日

東京都墨田区にある、”すみだ郷土文化資料館” に来ました。
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東京大空襲の被害に遭われた方々それぞれの忘れたい記憶を書き留め、戦争の痕跡を後世に残しています。
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この資料館で東京大空襲企画展が開催されていますので、今日を選び、足を運んでみました。

東京空襲の体験画

館内にはタッチパネルがあり、展示品を区分別に見ることができます。

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2階には戦争を体験した方々の書いた絵が展示されています。ここの絵画は出版されているため、写真撮影はNGです。拙いながら私の感想を書いていきます。

⑴画家と見間違う素晴らしい絵画

当時14歳だった男性は、東京大空襲で家族6人を一度に失いました。今で言うとまだ中学2年生。戦災孤児となり、どうして生きてきたのか、どれほどの辛酸を舐め尽くしたのか。絵に添えられたコメントは簡素でしたが、画家の筆と思う見事な絵に見入ってしまいました。この方の命は戦争で奪われず、たった1人で生きていかなければならなかったのです。

⑵土浦の予科練

遠くで大火の見える風景。当時17歳で兵士としての訓練を受けていた男性は、茨城県土浦市にある予科練から東京大空襲の炎が見えたそうです。戦地へ赴く兵隊は大人と見なされていても、まだ高校生くらいなんですよね。大人にならざるをえなかった時代、展示されている絵画の作者は小学生だった方の作品が多くありました。当時の10歳は、今の86歳です。

⑶あの日、その後

川辺に安置されているたくさんの人。当時24歳の女性は家族で疎開していましたが、たまたま夫が東京へ行った日に空襲がありました。数日後に夫を探し回った結果、川で遺体となって発見されました。夫を亡くし、幼い子どもを何人も抱え、貧しく苦しい戦後を生き抜かれました。コメントに「戦争のことなんか思い出したくもない。だけど若い人に知っていて欲しいから伝える」と書かれ、平和への熱い想いが伝わってきました。

⑷星野光世さん

A1(ポスター)サイズの絵本に自身の体験を描いた星野光世さん。反戦への想いを伝える活動をなさっています。両親が空襲で亡くなり、戦災孤児となった星野光世さんは、わずか11歳で人身売買に気が付き、妹や弟と共に逃げだすんですね。何とか祖母の家に帰り着いたのですが、結局弟とは離れ離れになってしまいました。お蕎麦屋さんを営む両親の元で幸せに暮らしていたのに・・戦争が家族を殺し、誰もが不幸になります。丁寧に書かれた絵と文から、星野光世さんの悲しみと優しさが伝わってきます。

被害の詳細と痕跡 

3階には戦争を体験した方々の、被害に遭われた場所の地図と詳細が記されています。この場でどのようなことがあったのか、誰が亡くなり、生き残った自分はどのような思いをしたのか、傷ましいことばかりです。

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「焼死体か水死体かのどちらかが転がっていた」とのコメントを見て、東京大空襲の凄まじさ、炎の大きさを知りました。この展示は2021年5月9日まで。

ミュージアムショップなど

1階には蔵書と展示品が少々、受付隣にミュージアムショップがあります。施設に展示されている絵をまとめた本も販売されています。

あの日を忘れない ¥2,000‐

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2階の特集展示は、雛まつり展。素敵なお雛様が飾られていました。

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隅田公園

すみだ郷土文化資料館の隣には、 隅田公園があります。以下の地図で右上に資料館、中央に隅田公園です。

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隅田公園を歩いてみると、なんかもう庭園って感じなんですね。

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それもそのはず、ここは水戸徳川家下屋敷 があった場所でした。

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藤田東湖の記念碑なども。

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別名:水戸街道国道6号線がすぐそばに通っており、江戸時代の浪漫を感じますね!

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墨田区の見どころ

墨田区は、中央にスカイツリー隅田公園のある北部・旧向島区と、錦糸町や両国のある南部・旧本所区に分けられます。

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ここ隅田公園隅田川沿い、川を渡ると浅草です。スカイツリーの見えるベストスポットでもあります。

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面白いと感じたのは、隅田公園墨田区だけでなく、台東区にもまたがっています。

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この川の向こう側は浅草です。歴史なら墨田区側、スポーツ施設は台東区側に集中しているため、観光の墨田区隅田公園、地元の台東区隅田公園といった感じでしょうか。日本さくら名所100選に選定されていて、どちら側も桜の名所ですので、もうひと月もすればピンクに染まっているのでしょうね!待ち遠しいです。

牛島神社

公園内に入ると、柵と鳥居が見えます。

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歩いてみると、随分と立派な神社が。

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ここは、スカイツリー氏神でもある神社。写真だと分かりづらいのですが、石碑は鳥居よりずっと高く、大きいです。

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ここら辺一帯は ”牛嶋” と呼ばれており、そこから”牛嶋神社”と名付けられました。現在の地名は ”向島” ですが、江戸時代の地図で見ると ”向嶋” と書かれていますので、”牛島” も同様に 牛嶋 ⇒ 牛島 になったのかもしれませんね。

まとめ

序章:すみだ郷土文化資料館へ

背景:戦争を忘れないため

事前情報:76年前、東京大空襲のあった日に


導入:戦争の悲惨な体験を知る

いつ:2021年3月10日

どこで:東京都墨田区

だれが:私が

なにを:東京大空襲の記憶を

どうしたか:胸に刻んだ

出来事:資料館と隅田公園

展開:水戸徳川家下屋敷のあった公園を巡る

解説:下町は面白い、興味深い町

結論:スカイツリーのベストスポット!

終結:お勧めは桜の季節

あとがき

墨田区のこと

”この街は、色んな発見があるだろう。”

行くと、すぐに面白いものを見つけました。落語で有名な ”本所七不思議” ゆかりはぜひ巡ってみたいですし、怪談を辿る旅は皆様に伝えたい話の1つです。

浅草から隅田川を越えて墨田区に入ると、直ぐに江戸の歴史を感じられます。

戦争のこと

私は戦争を知らない時代に生まれました。実際に戦火を逃げ惑い、家族や家を失い、明日生きられるか分からない毎日を生き延びることがどれほど辛いことなのか、想像でしか分かりません。大変な苦労をなさったことでしょう。そして当時の日本家屋のほとんど木造で、燃えやすい材質です。確実に民間人を狙った攻撃で多くのかけがえのない命が奪われ、生き伸びた方々も怪我を負い、財産を失い、大切な人が亡くなり、生き地獄です。考えただけでも気が遠くなってしまいます。今を生きる私達は戦争を知らなければならないと考えています。

また、ブログを始めて旅先を調べていくと、戦争で無くしたものは計り知れません。その時代を生きた人も、家も、貴重な文化遺産も、焼き尽くされたのです。東京の歴史をさかのぼると、様々なところから昭和の太平洋戦争が出てくるのです。 

東京大空襲の追悼を行っています。

 ★東京大空襲の詳細が分かります。

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